龍馬脱藩の道

龍馬脱藩の道…その道の変遷

この坂をあと500m登れば藩境だ。つまり当時では「越境」=「罪人」となってしまうため、覚悟を固める重要な坂道である。名前を「韮ケ峠」という。

当時は「杉」はこれほどは植えられてなかっただろうが、道筋は昔のままで線形も昔の直線に近い。この狭さと直線性が「歩く道」の基本だった。今では車の「走る道」は別にあって、それは緩やかながら曲がりくねっている。で…道路の歴史とは…

①  細くてまっすぐで急勾配である。   龍馬の時代
②  勾配は緩いが曲がっていて狭い。   大正・昭和時代
③  勾配も緩く直線的で広い。      平成の高速時代
      
      「環境」と「車(工業)」とは天びん棒の両端であって融和は難しい。バランスを取って仲良くするしかない。しかしそれが容易でないものだとも分かる。

      日本において「道路と車」は熟成期に入っている。新しく高速道路を造ろうとするのではなく、「メンテナンスと我慢」の時代だと言える。龍馬脱藩の道の途中にこんな教育的な石碑標識もあった。「せまい日本 そんなに急いで どこへ行く!」 龍馬が見たら怒るかも!

      この標語を考えた人が「司法側の警察官」だっと聞いてまたびっくり!

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